高校時代に一年半、大学時代に三年ほど米国の中西部に留学したことがあります。
社会人になってからも、長期出張で年間の半分ほどをカリフォルニアで過ごしたりと、米国は、それなりに私の人生に影響を与えてきた国なのです。
ここ10年ほどは米国とは疎遠になっていたのですが、数か月前に米国株への投資を始めたのをきっかけに、最近改めて、私の青春時代を過ごした世界の大国について考える機会が増えました。
最近、特に思うのが、米国を日本と同じような感覚で「国」と考えるのには無理があるのではないか、ということです。
人種のるつぼであることはもちろん、個々の持つバックグラウンドや思想、文化、価値観が余りに違いすぎて、アメリカ合衆国=世界の縮図と考える方が、私には納得がいくのです。
さて、「米国市場一本への投資反対派」の人々からは、下記の様な意見をよく聞きます。
- 米国一強時代はいずれ終わるよ。ローマ帝国も最終的に滅んだし。
- 近い将来、中国が米国経済を上回るのは目に見えてんじゃん。
- 米国だけでなく、世界中に投資をすべき。これだからギャンブラーは嫌なんだよ。
まず、繰り返しになりますが、私は米国を「他の国」と同じようには考えていません。あまりに様々な人種が住んでいるので、例として米国に住む「中華系の人々」に焦点を当てて考えてみます。
中華系の人々の中には、自身のことをこのように考える人達がいます。
- 米国人であり、中国人でもある。
- 米国人であり、中国人であり、香港人でもある。
- 米国人ではあるが、中国人ではない。でも香港人ではある。
- 米国人ではないが、中国人である。
- 米国人でも中国人でもないが、台湾人ではある。
- などなど・・・
この辺でやめておきますが、言いたいことは、「米国在住の中華系」の人々に限った話をしても、彼らの思想や自意識の違いを挙げていくとキリがないのです。もはや、「米国人の国民性はこうである。」などとは言えなくなっているのです。
世界中から、文化も価値観も言語も思想も異なる、優秀な人材(優秀じゃない人もいるだろうけど)が集まる場所が「米国」なのです。
中国経済が米国経済を上回る頃には、より多くの優秀な中国人が米国に移民なり留学なりし、米国で新たなグローバル企業が発足する手助けをするでしょう。
グローバル企業が連なる、米国のインデックスファンドに投資をしている時点で、世界に投資をしているのです。
なので、仮に米国経済が滅びる日が来るとすれば、それは世界経済が滅びる日だと私は考えています。世界が終われば全てが終わり、人類は全てを失います。そんな心配をしながら、米国市場への投資の危険性を考えること自体、無意味なのです。